先日、娘が欲しいと言って買ったジャムの瓶の上に付いているフィルムを私が剥がして、
娘が大泣きしましました。
「私が、はがしたかったのに!!」
「どうしてママが勝手にはがしたの!?」
「これは私のジャムなんだから!」
と、朝っぱらから、それはもうすごい剣幕で、
怒鳴り散らしていました。
そんな娘を見て、
(知らんがな)
(そんなにフィルムを取りたいんだったら、さっさと起きてよ)
と思っていた私は、
「そっか。フィルム取りたかったんだね。」
というのが精一杯。
「ごちゃごちゃ言ってないで、さっさと食べなさい!」という言葉が喉元まで出かかっていました。
娘が泣き続けている様子を視界の片隅で確認しながら、
淡々と家事を進めていると、
ひとしきり泣いた後、
娘は大好きなイチゴジャムで
「おいしい。」と言いながら食べ始めました。
「ママ!このイチゴジャムすごくおいしい!好きになっちゃった。」
ともう笑顔でした。
いつもこの彼女の切り替えの速さに救われます。
そして娘の笑顔を見ているとこちらの溜飲も下がってくるんですよね。
その日の夜、娘と2人になったタイミングで
「今日の朝はごめんね。ジャムのフィルムを取りたかったのに、ママが取っちゃって。」
と謝りました。
すると、娘は「いいよ。」と許してくれました。
私が子どもたちと関わる上で大切にしていることは、
少しでもこちらが悪かったなと思う点があれば、
親の方から謝るということです。
しかし、これがなかなかタイムリーには難しい。
私も感情の起伏が激しい方ですし、
子どもたちがギャーと泣き叫んで不平不満を言っているときは、
心穏やかにならず、イライラします。
まずはグッと言いたいことを飲み込む。
(私の場合、この言いたいことって、怒りを爆発させてるだけで、大抵言わなくたっていいことが多いんです。)
そして時間の経過とともに風化させるのではなく、
その日のうちに2人の時間を作り、
何に対して悪かったと思っているのか伝えて謝るということを意識しています。
謝る内容としては、例えば
- 問題になった行動(この日だと、フィルムを剥がしたこと、フィルムを子どもが剥がすことを約束していたかどうかは問いません。)
- 大きな声を出したこと
- 不機嫌な顔をしたこと
挙げればいくつも出てくると思います。
私が子どもの頃、
親が明らかに間違ってると思っても、
親から謝られたことって記憶にないんです。
「悪かったな。」くらいには言われたことはあったかもしれませんが、
心から申し訳なかったと言われたことがない。
だから、自分も親に申し訳ないと思ったことでも謝るのがとても苦手な子でした。
ですが、今、それを反面教師として悪いと思ったら謝るということをしていると、
子どももそんな親から学んでくれるような気がしています。
「悪かったと思ったら謝る。」
「後からでもいいから謝る。」
「誰だって失敗することはある。」
そういうことを自然と身につけてくれた子どもたちは、
「謝りなさい!」と言わなくても、
本当に自分が悪いと思ったら、
「さっきはごめんね。」と謝ってくれるのです。
兄弟間でもそういう関係が築けているようです。
もちろん、謝らなくたっていいこともありますし、
必ず謝る必要もないと私は思っています。
なぜなら、謝らないことで起こった結末を子ども自身が体験するからです。
相手との関係が気まずくなる、
その場にいづらくなると思えば、次からは謝るだろうし、
そんなことどうでも良いと思えれば、自分の意見を貫くだろうし、
自分の意見を貫くことが大切な時もあることをそのうち学ぶでしょう。
そしてポイントは謝った時に、
「でもね、あなたもここが悪かったわよ。こうすれば良かったのに。」
と言わないこと。
これ、大人でも言われたら気分が悪くないですか?
子どもだって子どもなりに、
その出来事が起こった時点で、自分の中で反省しているんですよね。
「次はこうしよう。」
「これをするとうまくいかなかった。」
「こうすればうまくいった。」
子どもはよく考えています。
こういう時はこういう対応の仕方もあるよと選択肢を見せることが大切なのかなと思っています。
そこで選ぶのは子ども自身。
子どもの周りと協調して生きる力を信じてみたいと思っています。