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CASE31−13 母へのストレス

自宅に帰ると、

 

一日後に母が日本から来てくれました。

 

母はご飯を作ったり家事をしてくれました。

 

ご飯があるだけで幸せでした。

 

母がいてくれたということもありますが、

 

家に帰るとホッとしました。

 

病院の硬いベッドではないところで眠れるし、

 

病院はすごく寒かったんです。

 

ウルトラライトダウンを着てても寒かったです。

 

アメリカの病院は布団がなくて、

 

シーツみたいなものを5、6枚かけて寝たのですが、

 

それでも寒かったです。

 

母にはとてもお世話になったのですが、

 

実際は母が来て3日後くらいには、

 

もう帰ってもらってもいいんだけどなと思うくらい喧嘩していました。

 

お互い疲れ切っていました。

 

母は母で時差ボケがあって疲れていて、

 

会話ができないくらいでした。

 

母が

 

「ご飯は何を食べたい?」

 

と聞いてくれるのですが、

 

私は私で何を食べたいのか考えるのも億劫で、

 

「勝手に作って!」

 

と返していました。

 

母は10年前にアメリカに住んでいたことはあるのですが、

 

当然、

 

私の家が初めてで、

 

家周辺にある店の場所や物のある場所など聞かれることばかりでした。

 

実家に里帰りするほうが楽だったなと思います。

 

母には個室を用意しておきました。

 

元々、

 

活動的な人なので、

 

ご飯を作る以外は外に出かけて、

 

リフレッシュはしていたみたいです。

 

それは本当に有り難かったです。

 

帰るまでの1ヶ月の間、

 

母には助けてもらったものの、

 

フラストレーションも溜まりました。

 

 

帝王切開出産で、

 

無事に産まれてきてくれたから良かったんですが、

 

帝王切開に至るまでの40時間があったので、

 

とてもハードだったなと思います。

 

しばらくはもう子どもを産めないやと思っていました。

 

生後半年が過ぎ、

 

ようやくこの出産がしんどかったのは、

 

あの徹夜での40時間があった後に帝王切開をしたからだ、

 

初めから計画帝王切開だったら、

 

もう少し体は楽だったんじゃないかと考えるようになり、

 

二人目を授かることに前向きになれるようになってきました。