「え!
でも、初期の段階で抗体はできていないって言われましたよ。」
と伝えました。
「でも、
今の血液検査では不規則抗体ができています。
きっとその時にも抗体はできていたはずだよ。」
と返されました。
夫はものすごくUCSFに対して怒りました。
でも、
「抗体ができた後、
一人目ならギリギリ出産できるので、
経過を観察していきましょう。」
ということになり、
ハイリスク妊娠に振り分けられました。
週一くらいで病院受診が必要になりました。
出産を控えた頃、
サンフランシスコに戻り、
出産直前は毎日受診となりました。
医師からは
「多分元気だと思うけど、
37週になったら、
産みましょう。」
と言われました。
その時に、
入院したら何をするかという説明を受けました。
以前に、
とある講習で、
陣痛で出産する人が乗ってきた車に「in labor」という張り紙を貼って、
病院玄関に車を横付けできるという話を聞きました。
その話を聞いてから、
いつかその張り紙を使いたいと思っていましたが、
計画出産となり、
それができなくなったのが少し残念でした。
陣痛が来て、
大きなお腹を抱えて痛い痛いと言いながら
車に乗ってという出産を想像していたのですが、
実際に入院した時の私のお腹はとても小さく、
「何しに来たの?」
と言われたほどでした。