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CASE36−12 今となってはどっちでも良い

産まれた後は、

 

最後まで意識がある状態で、

 

傷を縫われ、

 

リカバリールームに移りました。

 

そこでも問題はなく、

 

しばらくすると個室に移されました。

 

歩く練習がいつだったかは覚えていないのですが、

 

起き上がれないし、

 

おしっこの管もついていたので、

 

一人で動くことはできませんでした。

 

まず最初におしっこの管を抜かれて、

 

トイレに頑張って歩かなきゃいけなくなりました。

 

最初のトイレだけは看護師さんがついてくれました。

 

起き上がるのも、

 

笑うのも痛いし、

 

何をするのも痛くて、

 

全くスムーズに歩けませんでした。

 

一人目の時は立ち上がることなんて辛くなかったので、

 

経腟分娩と比べると、

 

帝王切開は痛みがある中、

 

赤ちゃんをお世話しなければいけないということがとても辛かったです。

 

ただ、

 

病院にいる時は、

 

ナースコールをしてリクエストすれば、

 

赤ちゃんをお世話してくれました。

 

おむつを替えて欲しい時も、

 

ナースコールで呼べばやってくれるのです。

 

それはかなり助かりました。

 

アメリカでは痛み止めを大量にくれて、

 

痛くなる前に飲みなさいと言われるので、

 

3時間おきくらいには何かしらの痛み止めを

 

3〜4日は飲んでいたように思います。

 

内服をしていれば痛みは随分と楽でしたし、

 

痛み止めを飲み終わる頃には

 

お腹の痛みは軽くなっていました。

 

そうは言っても、

 

家のベッドは電動ベッドじゃないし、

 

しゃがむ動作なんかは気を付けて行わないと痛くなることがありました。

 

産後は義母と実母が入れ替わりでサポートをしにきてくれて、

 

とても助かりました。

 

 


帝王切開は避けられるのなら避けたいし、

 

やっぱり痛かったと思うのですが、

 

今から思うと

 

そんなに悲しまなくても良かったかなと思います。

 

当時は経腟分娩で産めなかったということに

 

とても悲しんでいたのです。

 

帝王切開出産をしたせいなのか、

 

母乳の出も悪かったです。

 

一人目は母乳もよく出たのに、

 

二人目ではなかなか量が出なくて、

 

出産数日後にミルクを足してくださいと言われた時が、

 

一番悲しかったと思います。

 

これも帝王切開のせいだと思っていたのです。

 

今では無事に産まれてきてくれたなら、

 

帝王切開だろうが、

 

ミルクだろうが、

 

どっちでも良いじゃんと思えるのですが、

 

あの時はとても悲しく思ったのは事実です。